片山のルーツの旅 諫早編 ~母方の先祖のお墓参り~

目次

自分のルーツをたどる

今までコロナ禍で遠方へ外出することを控えていた人も多かったけれど、そろそろ経済も回さなきゃということで、ようやく人々が動き始めたシルバーウイークの四連休。

僕も父方の五島に連泊する計画を立てようと、宿泊施設に問い合わせてみたけど、お盆に旅行や帰省ができなかった人々が、Go Toトラベルキャンペーンを使っての素早い行動により、どこの宿泊施設も全て予約で埋まっていて、断念せざるを得なかった。(五島の父親にとっての実家は、空き家でぼろぼろだから、そこに泊まることは不可能・・・)

それなら日帰りで行けるところはないかな?と考えていたら「そうだ!諫早に行こう!」とふと閃いて、行き先が決まった。

 

母との対話

僕の母方の先祖のお墓は、諫早の山の中にある。

そこに行った記憶はあるが、それは小学校低学年の時だから、今からざっと30年前くらい。

父方の先祖のお墓には定期的に行っていたけど、母方の先祖のお墓には随分長いこと行っていなかった。母方のお墓参りにあまり行かないのは世間一般的に見てどうなのだろうか。僕の家庭だけだろうか。それが普通だと思っていたけど、やっぱり何か違うんじゃないかと、ふと思って行くことにした。

行くと決めたのはいいが、何せ前回行ったのが子どもの時だったので、場所もおぼろげにしか覚えてない。だから、母に相談してみた。

母のルーツを聞くということも、こういうきっかけがないとやらなかっただろうから、それも初めてで何だか嬉しかった。

母の生まれ育ちや両親のことなどの話を聞いたことがあるのが小学校高学年の時だったけど、あんまり覚えていない。ぼんやり覚えているのは、母は若くして両親と離れて暮らしたからか、たくましく育ったということ。

そんなことをアレコレ聞かれたら母は辛いかなって子ども心に勝手にそう思っていた。

でも、親について自分が知らないことを聞いておくのは、親が元気なうちがいいし、後悔もしなくてすむだろう。だから、母に行き先の詳細を書いてもらい、母方の祖母の旧姓も尋ねた。そして、そのメモを片手に、いざ出発!

 

ご先祖様との再会、感謝

地図の情報を頼りに車を走らせ、ここかなあと見ていたら、長崎特有の坂に出くわし、唖然。

「え~い、どこじゃい!」

とりあえず駐車場に車を停め、母に連絡した。でも言葉だけで、うまく伝えられる自信はなかった。「そうだ、テレビ電話にして、母に景色を見てもらいながらナビしてもらおう!」

我ながら名案だった。「そこ!右、右。その階段、階段。その上、上。そこのお墓から左、左!そこ、そこ!」そこまで来た時、僕の記憶の中の景色と重なった。「思い出した!」

 

母方の先祖のお墓は、お墓というよりは石ころが土にささっているだけだったのだ。先日の台風やイノシシが掘り返したりしていたらしく、それを親戚の方が寄せ集めてくれていて、「これかなあ~」って感じの佇まい。

母親が続けて言う。「おそらく、それが母親で・・・そちらが親戚の~。」

とりあえず、その場で合掌。

今の僕があるのは、ここに眠られているご先祖様がいらっしゃったおかげであるのは、紛れもない事実。それはもう、ひたすら感謝しかない!

家に帰ってから、母からは感謝のメールが届いた。

今日、実際にお墓参りをしたことで、ここ最近で一番すっきりしたなあ~とか思ったけど

まだまだ他にもやるべきことは残っている。よくよく聞くと、あのお墓のお寺がどこなのかわからないという。そして、母がお墓の見守りをお願いしている方と連絡を取って下さっている親戚(だと思うのだが・・・)の方々を僕は知らない。

 

自分のルーツ探しの旅は、まだ始まったばかりだ。

 

次のお話

片山のルーツの旅 沖縄編 ~母方の祖父の33回忌~

 

 

片山 順一

片山 順一

太宰府市国分出身、1984年生まれ。両親、姉の4人家族。大学を機に上京。両親は福岡県内の別の場所に在住、姉も結婚し東京に住んでいるため、数年前まで実家は空き家だったところUターン。空き家問題を学ぶ中、長男としての自覚が芽生え始めた模様。

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