片山のルーツの旅 五島編 ~大叔父の死と父親の実家~

目次

五島のお盆

ここ数年、年中無休の父親に代わり、お盆に日帰りで、五島へお墓参りに行っていた。

あっ…。五島のお盆ってどんな感じなのか、多くの方はご存じないと思うので、ちょっと書きます。

ちょっと知ってもらいたい。ちょっとイメージしてもらいたい。

五島のお盆の風習は、島独特なんです。

夕方から夜にかけて、墓場で花火や爆竹を子どもたちが無茶苦茶やるんです(笑)

それは線香花火など風流な感じではなく、ロケット花火をドーン!ドドドドド…みたいな。

子どもの時は、ただ楽しんでいたけど、今考えたら、なんで墓場で⁉中国的な行事⁉

五島のお盆の風習であと一つ、「ちゃんここ」っていう念仏踊りがあるんです。

人生で見たことがない恰好をした男衆がゾロゾロと家にやってきて、鐘を鳴らしながらボソボソと何かを唱えながら踊って、終わったらまた違うお家に向かって行くのです。

子どもだった僕にとって、めちゃくちゃ怖かった。

ちょっと独特なお盆の風習をイメージしていただけましたかね。

 

父親の実家

父親の両親は、10年ほど前に他界しているので、現在は空き家の状態。

昔は父親の実家から線香など持ってお墓参りしていたが、その道具はないので

大叔父のところに行って、提灯や線香を持って一緒に連れて行ってもらっていた。毎年大叔父の家について、網戸を開けて入っていくと、毎年同じ光景、甲子園をTV見ながら待ってくれていた。ウェルカム瓶ビールで乾杯し、いつもいろんな話をしてくれて、楽しみだった。

お墓参りが終わった後も、お酒をお付き合いさせて頂いて、空港まで送ってくれたり。

いつも優しく出迎えてくれていた。

コロナで2年も行けてなくて、来年こそは行けるかなあとか思っていた矢先、

大叔父の訃報の知らせが来た。享年90歳。

訃報の知らせの翌日、父親と二人で五島へと向かうことになった。

福岡空港で待ち合わせの予定だったが、父親の携帯電話番号を知らず、母親に確認して連絡した。父親と携帯電話で話すことは、ほぼ初めてで何となくちょっと緊張した(笑)

父親と二人きりでの旅というか移動は、大人になって初めてかも…。

 

プロペラ飛行機で約30分で五島に着陸し、大叔父の家に向かう前に父親の実家(数年空き家)を見に行ってみた。

本当は、自分のルーツの旅として五島に行って色々と考えようと思っていたが、突然の五島の実家調査となった。

昨年の台風で小屋が崩れていると聞いていたので、恐る恐る見ると、草はボーボーになっていたが、小屋は綺麗に崩されていて、危険ではなかった。

せっかく父親と来たのだから、家の中に入ってみようという話になり、石で塞がれているだけの勝手口を開け、家の中に入ってみた。畳はぶかぶかしているところが多かったが、かび臭さ等は一切なく、まだ大丈夫だった。住めないわけではないが、シロアリを含めて調査してもらう必要性があるなという感じ。

きっと、大叔父が定期的に見守ってくれていたんだろうなあと、父親としんみりとなり、これまでの大叔父には感謝の気持ちでいっぱい。これまで見守ってくれて、ありがとうございました。

父親の実家は未だに、ぽっとんトイレであり、薪でお湯を沸かして風呂に入るシステム。父親は、「水回りと床のリフォームをして、来年は孫に来てもらいたいなあ」と話していたが、僕は、床はリフォームしたとしても、水回り関係はそのまま残して、東京にいる甥っ子に田舎を思いっきり感じてもらいたいなあと思った。不便かもしれないが、逆に便利が良すぎる都会でガス給湯器が壊れたら…電気が止まったら…水が止まったら…水不足になったら…。風呂・シャワーは入れないし、トイレどうすんねん状態。しかし、ここ田舎の昔のシステムだったら、そんな心配はあんまりない。便利になりすぎている日本のど真ん中にいる甥っ子たちに是非、来年はここに来て体感してもらいたいものだ。

 

通夜

父親の実家を後にし、足早に大叔父の家へと歩いて向かった。

着いた時には、もうすでにお坊さんが来ていて、大叔父のお通夜が始まっていた。

ただ、なぜか入り口付近でざわついている。

ざわついている奥を見ると、4畳半の床がズドンと抜けてるやん!なぜこんな日に…。

どうやら4畳半の畳の上で、おばあちゃんたちが数名立っていたら床が抜けたらしい。

幸い誰も大きなケガはなく済んでいたし、おばさん一人でいる時に抜けてしまって大変なことにならず、よかったなあとみんなで話していた。

すると近所の大工さんがやって来て、土台をいじって床をやり直していた。

床の応急処置も終わり、お通夜も終わり、女性陣は炊事場で談笑しながらご飯の準備をし、男性陣はご飯を頂きながら、お酒(ノンアルコールビールで、泣。)これから朝まで線香を絶やさない係。大叔父の奥様・息子・娘、親戚のおじさん2人、父と僕。

大叔父の想い出話、みんなの近況、これからの事と、いろんな話をした。

 

大叔父の息子は、もうすぐ60歳。

この人と会うのは、四半世紀ぶり。変わったところと言ったら・・・だいぶオデコが広くなったなあというくらい。大人になって話すのは、ほぼ初めてだと思うけど、かなり変わってる人だったんだという事が分かった。生まれてから散髪屋に行ったことがないそうで、今でも自分で髪を切っているらしい。天然パーマだから?伸びたなあと思ったら、ハサミでチョッキン!ツワモノだ。

そんな息子さんは、島外で独身貴族。娘さんは、島外で結婚され家族がいる。

これから大叔父の奥様は、五島の実家で一人暮らし。大丈夫かな。初七日、四十九日もあるし、色々と相続の件等、やるべきことは次々にやってくる。独身貴族、定年間際の息子さんが帰ってくるのか?いわゆる決断の時…。

 

空き家の利活用

話は変わり、父親の実家(空き家)の今後の利活用について話していると、親戚のおじさんが五島市の取り組みや助成金について詳しく教えてくれた。五島市は、空き家バンクがあり移住定住促進に向けて、利用条件を満たした場合、空き家のリフォームの費用の半額を補助してくれて、最大100万円。ほー。そっか。太宰府市はそんなのないけど、五島は若者が減ってるし、人口減少だし、そりゃあ積極的にやるわな。おじさんのアドバイスを頂いたので

早速、週明けに五島市の担当課に電話して詳しく聞いてみたら、昨年はこの取り組みで20組ほど五島に移住してきたらしい。そして今年の補助金の限度額にも、まもなく到達しそうだという。

やはり行政に相談するのが安心!って思いますわね。

でも業者の斡旋は、できないのが行政。担当課の方と話す中で、父親の実家をリフォームしてもらうのに自分たちで業者を探してもらわないといけないと言われ…そんなん、住んでないのに業者とか分かるわけないやん…あと提出資料に必要なビフォーアフターの写真とかも撮らないかんし、書類関係もまとめないかんって、なかなか大変なことになるなあ…。

ちょっと現実的には難しいと思ったので、市との連携団体NPO等があるみたいだから、その団体をネットで調べて電話して色々と話してみようと思う。

 

五島の風習?

線香の灯を絶やすことなく、朝を迎えた。

葬儀が始まり、大叔父の家は浄土真宗のため、その作法で進んでいたが、ぼーっと大叔父の事を考えながら、少し眠気が襲ってきていた。すると突然、「ばしゃ~ん!ばしゃ~ん!」とシンバルみたいなものを鳴らし始め、ビックリしてお尻が浮いた。これもまた五島の風習なのか。一回だけかと思ったら終わる手前にもう一回。「ばしゃ~ん!ばしゃ~ん!」と鳴り響いた。この風習をご存じの方、誰か教えて下さい(笑)

火葬も終わり、大叔父の家へと皆で帰った。 お墓へと納骨に行くため、旗を持つ人、ロウソクを持って行く人と、それぞれの役割があって一列になって、お家からお墓まで歩いて行く。途中、お地蔵さんが何体かいらっしゃって、そこを3周ほど廻り(家に帰って来ようとしても迷って帰って来られないように…らしい)それからお墓へ行き、納骨した。簡略化したお葬式が増えている中、昔のまんまの五島の葬式の風習。

 

色々あった2日間でしたが、変わらない景色、自然、文化を残す五島。サイコゥ!

片山 順一

片山 順一

太宰府市国分出身、1984年生まれ。両親、姉の4人家族。大学を機に上京。両親は福岡県内の別の場所に在住、姉も結婚し東京に住んでいるため、数年前まで実家は空き家だったところUターン。空き家問題を学ぶ中、長男としての自覚が芽生え始めた模様。

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